まちの薬局つれづれ日記 第8回

2017.01.25 薬剤師コラム


日常の中で感じるあんなこと、こんなこと。class A の仲間でもある小林薬局(鳥取県)薬剤師の小林康治さんが、薬剤師ならではの視点でお届けします。
小林さんのエッセイは今回が最終回です。

情熱と覚悟

私は薬局の6代目に当たります。と言うと薬局業界のサラブレッドのごとく言われることもありますが、まったく本人にその自覚がありませんでした(一応過去形)。困ったものですがしょうがない。だってサラリーマン家庭で育ち、親の背中を見て薬局を志した経験なんてありません。

小林薬局の社長である私の父は工学部を卒業し鳥取を離れ、製薬メーカーでまさに「24時間戦えますか?」のフレーズそのままでした。小学生の私が起きる頃には出勤し、寝ている頃に帰宅する企業戦士でした。父との思い出は夏休みやお正月の旅行、週末に近くのレストランでの食事。そして休日出勤に会社に一緒につれていってもらい、当時はまだ珍しいパソコンでゲームをさせてもらった記憶です。私が薬学部に進学してから祖父が亡くなり、実家の薬局を父が継ぐことになりました。大学生の僕は、田舎の倉吉の薬局よりそのまま製薬メーカーにいた方がいいのではと内心は思っておりましたが、薬局をつぶすわけにはいかないと家業を継いだのでした。

そんな父は長年製薬メーカーで培った薬や薬事への知識は十分に持っていたのですが、薬剤師免許の壁でとても悔しい思いをしたそうです。そして薬局を継いで1年ほどたった頃、ついに父は家族には内証で薬学部に社会人入学をしてしまいます。当時はまだ4年制でしたが、3年次に編入して2年間薬科大学に行って薬学部を卒業できる道を選びました。50歳を過ぎて薬局経営をしながらの薬学部での勉強は想像を超える努力があったと思います。

晴れて薬剤師になってからの父の薬剤師への想いはとても強く、薬局にとどまることなく、地域に飛び出し顔の見える薬剤師として幅広い仕事をしておりました。鳥取県薬剤師会会長として薬剤師の地位向上にも取り組んでいました。母親から見るとほとんど薬局にも家にもいなかったのでやっぱり企業戦士でした。

父が薬剤師になった1年後に薬剤師になった私は、製薬メーカーを経て北陸地方の薬局で仕事をしていました。北陸と山陰と離れていながら、父の薬剤師としての活躍は聞いておりました。けれど、なんだか別世界の遠い話のように感じていました。当時、私は会社員としては充実していましたが、薬剤師としては父ほどの情熱がなかったんだなと思います。いずれは田舎の薬局を継ぐかもしれないが、それは老後というか隠居してのんびり薬局の親父をするような遠いイメージでした。

そんな父から倉吉へ来てくれと頼まれたのは薬剤師7年目のことでした。その時は、勤めていた会社がどんどん大きくなっていく最中で、会社員として仕事がとても楽しい時期でした。後ろ髪を引かれる思いでしたが、当時の社長や支店長に背中を押してもらい、妻と子どもを金沢に置いて単身赴任で倉吉にやって来ました。まだ転勤族のまま遠い田舎の薬局を手伝いに来た気分でした。

父は相変わらず飛び回っていましたので、倉吉に来てからも毎日顔を合わすことはありません。そんな転勤族気分の私を、周りは「ジュニア」が倉吉に来たらしいとがやがや。当の本人は人手不足の薬局の仕事をこれまで通りにこなしているわけですが、ここぞとばかりに他業種の方や、薬剤師会やら調剤以外の頼まれごとが増えてきます。

父親の人との繋がりの広さに驚きながらも、この時は「頼まれごとは、試されごと」「返事は0.2秒」と中村文昭さんの言葉を基本になんでもやってみることにしておりました。父の情熱や活躍がようやく自分に影響してきたのかもしれません。遅咲きながら、父の背中を追いかけていたのでしょうか。それと同時に、薬局から一歩出ることで、薬局の仕事が本当に知られていないこともよく分かりましたし、薬局の想いがまったく地域に伝わってもいない危機感を持ちました。大袈裟に言うと、薬局の存在意義自体が危ぶまれている感覚がありました。

処方せん調剤に関しては、なんでも相談できる“あの人がいる薬局”を選ぶ時代に変わってきています。在宅や地域活動は、薬局から飛び出してなんでもやってみる行動力と、頼まれたら「yes」という力にかかっていると思います。やったことがないことをどんどん仕掛けていく時代になっているのです。極端な言い方かもしれませんが、薬剤師は健康に◎、地域に◎、人に◎なことならなんでもチャレンジして良い自由な資格です。そして自由な分、多種多様な要望に対して、街の薬局薬剤師はつねに要望に応える良い意味での「yes man(woman)」になる必要があると考えています。自分が変わっていくと同時に周りも変化していく、情熱と覚悟を持って皆さんと進んでいきたいと思っています。

最後にこのコラムを担当させていただいたこと、僕の文才だけではどうにもならなかったものを毎回監修してくれた妻に感謝。

text by 小林康治(こばやし・こうじ)

1974年兵庫県生まれ。北陸大学大学院を修了後、MRを経て薬局業界へ。大手薬局チェーンで楽しく仕事をしていたところ、125年続く薬局の6代目として新天地鳥取で奮闘中。