まちの薬局つれづれ日記 第16回

2019.01.23 薬剤師コラム


日常の中で感じるあんなこと、こんなこと。
class A 薬局の仲間で、薬正堂(沖縄県)薬剤師の佐藤雅美さんがお届けします。

プロジェクト“0(ゼロ)”

コラム担当も今回が最後。
これまで読んでいただいたみなさまに感謝申し上げます。
最終回は、中島みゆきの「地上の星」に乗せて「プロジェクトX」風にお届けいたします。

2018年3月23日、沖縄県保健医療部地域保健課より「麻疹(はしか)患者の発生について」の注意喚起として第一報が発表された。台湾からの旅行者により持ち込まれたウイルスが原因であった。
その後、6月11日に終息宣言がなされるまでの3カ月弱で99名の患者報告があった。
この数が多いか少ないかは別として、患者報告から終息宣言まで前述の県保健医療部の情報共有を基に各保健所・医療機関・市町村の適切・迅速な対応は見事であったと思う。
この背景には、「日本から麻疹がなくなる日」を願い「はしか“0”プロジェクト」(以下PJ)を立ち上げ、それを全国的な運動に展開した小児科医たちのある想いがあった。
PJは1998年と2001年の麻疹流行により9名の乳幼児の命が失われたことをきっかけに、県内の小児科医たちが2001年4月に発足させ、2005年までに県内1歳児の麻疹ワクチン接種率を95%以上にもっていくことを目標とした。

話は変わって、第一報から遡ること3カ月、2017年12月に弊社の社員を対象としたある研究がスタートしていた。
研究名『沖縄における麻疹・風疹排除維持へ向けての疫学的調査と感受性者への対応』
保険薬局従業員における予防接種に対する認知度と麻疹・風疹ワクチン接種歴の調査および血清抗体価の検討を内容とする研究である。
指揮を執るのは、弊社が35年間お世話になっている知念正雄小児科医師。
先述のPJを立ち上げた中心人物である。
研究の事前打ち合わせの際に衝撃的な事実を知念医師から聞かされた。
沖縄では1965年に「風疹」が大流行し、罹患した妊婦から「心疾患」「難聴」等障害を持った多くの赤ちゃんが生まれてきた。
知念医師はその年に私の故郷である宮古島の県立病院で勤務しており、救えなかった多くの命と風疹児に対する無念な思いを語った。その中の一人に私の2歳年下の弟もいた。
弟は3姉妹の下に生まれた長男で、父母・祖父母からの愛情を一身に受けていた。2歳を前にその幼い命を亡くした時の家族の悲しみは大変なもので、今でも「長い一日」の記憶として私の心に残っている。

麻疹(はしか)と風疹(三日はしか)は似て非なるものであるが、予防接種を行うことで確実に予防できるといわれている点では同じである。
「不作為の作為の責任を感じる」と知念先生は続ける。我々医療関係者は、ワクチンを接種すれば確実に感染を防げることを知っている。それを発信しないことで失った命や残ってしまう障害があると。

米国では、ワクチン接種を行うのはまちの薬局の薬剤師であることが多いと聞く。
地域の健康を守るということにおいて、非常に分かりやすい貢献の一つである。
日本でもまちの薬局の薬剤師が啓発のみに留まらず、直接的に関わっていける日が遠くないことを願ってやまない。

次回から、東京都豊島区 高田馬場薬局 北川晋(きたがわしん)さんがお届けします。

text by 佐藤雅美(さとう・まさみ)

沖縄県宮古島出身。大学卒業後、病院薬剤師勤務を経て薬局薬剤師へ。「観・食・感」を人生のテーマに掲げて、日々をひっそり・こっそり愉しみ中。