歴史に学ぶ

長崎では大正元年10月のコレラで139名が死亡し,また,大正9年にはインフルエンザが流行して, 328名の死者を記録した.このとき,長崎医学専門学校校長尾長守三も流感のため死亡した. 大正10年11月には長崎市聖徳寺において,「解剖千体祭」が行われた.明治21年以降大正10年までに千体の解屍が行われたことによる. この間、校舎も変遷を遂げた。第五高等中学校薬学科開設以来、もともと特別に独立した校舎はなく、医学科の中で受講していた。校舎が新築された第五高等学校から医学専門学校時代の薬学科は,300坪程度の木造平屋建てであった。大正12年木造2階建ての700坪の新校舎が竣工した。(長崎大学薬学部HPより引用)

100年前の先人達の経験を活かし何を恐れどう行動するべきか各々に問われています。